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宮崎家庭裁判所日南支部 昭和43年(家)151号 審判

財産分与につき 申立人 内田洋子(仮名)

扶養につき 申立人 小倉晃(仮名) 昭二六・一・一二生

外一名

(右申立人両名法定代理人親権者母) 内田洋子(仮名)

相手方 小倉孝(仮名)

右保証人 清野いせ(仮名)

主文

一、相手方は申立人内田洋子に対し財産分与として

(一)  日南市大字○○字○町○○○番 田 一反六歩

(二)  同市大字○○字○○△、△△△番 田 七畝五歩

(三)  同字△、△△△番 田 七畝五歩

(四)  同字△、△△△番 田 七畝一四歩

を分与する。

二、相手方は申立人小倉晃、同小倉均に対し、その扶養方法として親権者申立人内田洋子に右各物件を分与してその扶養をせよ。

三、鑑定費用は申立人内田洋子の負担とする。

理由

(申立人等の申立)

一、申立人内田洋子は、相手方に対し「財産分与として相手方所有名義の田畑の二分の一および相当額の金銭を分与せよ。」との審判を求め、その申立の理由として次のとおり述べた。

申立人内田洋子は、相手方と昭和二三年二月二七日婚姻し、爾来二〇年間にわたり、知能的に劣る相手方を助け、家業である農業を主宰し、農地その他の財産の維持増加あるいは子の養育等その家庭づくりに専念してきたのに、相手方およびその姉妹親族の一方的な追い出し工作により、ついに相手方との婚姻家庭を維持し得なくなり、昭和四三年六月二八日調停離婚のやむなきに至つた。

申立人内田洋子は、右離婚により未成年者である二男小倉晃(昭和二六年一月一二日生、高校在学)および三男小倉均(昭和三〇年三月二二日生、中学在学)の親権者となつたが、居住する家も資産もない状態であるから、右婚姻中の申立人内田洋子の貢献ならびに今後の母子三人の生活維持のために、相手方所有名義の田畑の二分の一を、さらに本件離婚原因に対し相当額の慰藉料を、それぞれ請求して、本件申立におよぶものである。

なお、相手方主張の財産隠匿については、全くかかる事実はなく、申立人内田洋子が家計を担当するようになつたのは、それまで同居して家計を主宰していた相手方の妹小倉マツが昭和三七年相手方所有の土地を自己名義にかえ、そこに家を新築別居するようになつて以後のことであり、それ以前の農地売却代金については十分関知し得ない立場にあつたばかりでなく、昭和三九年六月二六日日南市大字○○字○○△△△番田八畝五歩を宮崎県○○○○協同組合に金三八〇万円で売却した代金で相手方所有の本宅および貸家を建築したことを始め、申立人内田洋子が昭和四二年一二月相手方方を出るまでの間に、右家屋建築費金二三四万二、六八〇円、所得税金三一万五、〇〇〇円、農機具代金四六万二、七〇〇円、電機製品金一二万四、〇〇〇円、寝具類金四万九〇〇円、家具額八万三四〇円、土地売買手数料金一四万三、四〇〇円、測量分筆代金一万一、三五〇円、大工工事および水道工事代四万四、五〇〇円、建築材料代金二万円、母への贈与金一五万円、相手方姉妹三人への贈与金六万円、小倉マツへの借金返済金三〇万円、日南市○○協同組合への借金返済金五一万五、〇〇〇円、○○不動産への借金返済金九万五、〇〇〇円、内田博への借金返済金一〇万円、合計金四八〇万四、八七〇円と主だつたものだけでも支出しており、収入としてはほかに、相手方の○○パルプ○○工場勤務による給料月約二万円等があるが、親子五人の生活費として必ずしも十分でなく、申立人内田洋子において持出しているような金銭は何等ない。前記借金についても内田博からの分は申立人内田洋子が家計を引継いだ当時の税金および生活費であり、日南市○○協同組合からの分は以前から農業経営資金として相手方と相談の上で借受けたものであり、○○不動産からの分は不動産売買に対する手数料、税金等の立替分である。また、相手方主張の申立人内田洋子が持ち帰つたという家財道具等は、相手方、その姉妹、仲人の高梨秀造等立会いの下に、承諾の上で引き取つたもので、決して相手方の意に反してなした行為によるものではない。

二、申立人小倉晃、同小倉均両名法定代理人は、「相手方は申立人小倉晃、同小倉均に対し、申立人等が成年に達するまで相当の扶養をせよ。」との審判を求め、その理由として次のとおり述べた。

申立人小倉晃、同小倉均は、相手方の二男、三男であるところ、父母である相手方、内田洋子は昭和四三年六月二八日調停離婚し、申立人両名の親権者を母内田洋子と定めたため、爾来同女のもとで養育されているが、内田洋子は離婚後職業がなく、居住する家屋も所有しないため、同女の妹の家に間借りし、母子三人四畳半の部屋に居住して、親せきの援助のもとに最低の生活をしており、申立人小倉晃は○○○○高校三年に、申立人小倉均は○○中学校二年にそれぞれ在学し、相当の教育費も必要とするが、母内田洋子は最近漸く○○パルプ○○工場に包装工の職場を得たものの月収金一万二、〇〇〇円位(日給五〇〇円)にすぎず、他方父相手方は中程度の農家で、数年前に新築した広い家屋に住み、しかも○○通運に勤務して相当の給料を得、申立人等とは相当隔たる余裕ある生活をしているので、相当の扶養を求めるものである。

(相手方の主張)

一、申立人内田洋子の右財産分与申立は不当である。まず、相手方が現在所有する不動産は、いずれも相手方が、申立人内田洋子と婚姻した当時から所有するか、父小倉省三が昭和二六年三月二七日死亡して相続したか、いずれかであつて、婚姻中申立人内田洋子が協力して得た資産はない。のみならず、申立人内田洋子は婚姻中に相手方所有の不動産を売却した代金中金三〇八万円を使途不明のつかい方をしている。すなわち、日南市大字○○字○○△△△番の○田一畝一〇歩を昭和三〇年一〇月一七日林モト子に金一五万円、同番の一田六畝四歩を昭和三六年三月一三日南高荘は金一二〇万円でそれぞれ売却し、右売却代金合計金一三五万円のうち金三五万円で日南市大字○○字○○○西○○番田六畝一四歩、同市大字○○字○○△、△△△番田七畝五歩、同字○、○○○番田七畝五歩、同字○、○○○番田七畝一四歩を購入した残金一〇〇万円が使途不明、さらに同市大字○○字○○△△△番田八畝五歩を昭和三九年六月二六日宮崎県○○○○協同組合に金三八〇万円で売却し、右売却代金中金一六七万七、六八〇円で本宅新築、金五二万五、八九〇円で貸家建築、金二七万円で耕運機、金一二万円位で冷蔵庫等家庭用品をそれぞれ購入、金一〇万円を清野いせに貸与した残金一一〇万円位が使途不明、同字三〇四番の一田五畝八歩を昭和四一年一二月一七日田中ミキに売却した代金九八万円が使途不明、以上合計金三〇八万円位が使途不明である。仮りに申立人内田洋子の釈明どおりだとしても、その中には前記昭和三〇年および昭和三六年の売却残代金一〇〇万円を含んでおらず、また相手方の姉妹に対する贈与は金六万円でなく金一万七、五〇〇円であり、小倉マツに対する借金返済分は金三〇万円でなく金一二万円であるから、依然として金一一九万七、六三〇円の使途不明金がある。さらに、申立人内田洋子は実弟内田博より昭和三八年一〇月二日金二万円、同月一四日金二万円、同年一一月五日金二万円、同年一二月一二日金四万円、合計金一〇万円を、日南市○○協同組合より相手方名義で昭和三八年一二月三一日金一六万五、〇〇〇円、昭和四〇年四月二四日金三五万円、昭和四二年一二月一九日金五万円、合計金五六万五、〇〇〇円を、○○不動産より昭和四〇年一一月二四日金二万五、〇〇〇円、昭和四一年三月四日金七万円、合計金九万五、〇〇〇円をそれぞれ借入れているがこれの使途が不明である。また、申立人内田洋子は昭和四三年二月二三日勝手に相手方宅よりもみ米九俵等三七点におよぶ相手方所有の家庭用物件を持ち去つている。以上のように、申立人内田洋子はすでに相当の金銭的物質的利得をしており、改めて財産分与すべき筋合ではない。

二、申立人小倉晃、同小倉均に対する養育上の問題については、自分としては自ら引き取り養育するつもりであつたが、子供等本人が母親のもとに行きたい意向であつたので、内田洋子に申立人両名を渡したものであるものの、その養育費用については全く考えていないわけではなく、義務教育終了まではその責任を果さねばならぬと思うが、自分の収入としては日本通運に人夫として働き月額約二万円、貸家の家賃月額九、〇〇〇円を得ている程度であり、米一〇俵の供出代金は日南市○○協同組合に対する借金返済にあてざるを得ない現状であるから、養育費用を一括して支払うことは無理で月々の分割払を希望するものである。

(裁判所の判断)

一、相手方筆頭の戸籍謄本および当庁昭和四三年(家イ)第九号、第三九号各夫婦関係調整事件の記録によると、相手方と申立人内田洋子は、昭和二三年二月二七日夫の氏小倉を称する婚姻をし、その間に同年九月一〇日長男勝、昭和二六年一月一二日二男晃、昭和三〇年三月二三日三男均がそれぞれ出生したが、昭和四三年六月二八日当庁で、右晃、均の各親権者を申立人内田洋子に指定して調停離婚したこと、が認められる。

二、そこで、申立人内田洋子の相手方に対する本件財産分与申立について判断するに、右申立は、前記調停事件記録によると、当初離婚申立と同時に申立人内田洋子よりなされていたものであるところ、離婚そのものについては相手方と申立人内田洋子との間に容易に合意に達したが、離婚に伴う財産上の問題について、知能的に劣る相手方よりはむしろその姉妹親族と申立人内田洋子およびその親族との対立が激しく、調停期日毎に双方の親族が相対する状態であつたので、離婚と財産的問題とを分離して処理するを相当とし、前記のとおり離婚と親権者指定について調停の成立をはかり、右財産的問題については別途に協議決定することを合意し、右合意にもとづき本件財産分与の申立がなされたこと、が認められる。

しかして、民法第七六八条にいわゆる離婚夫婦間の財産分与の性質については、夫婦の双方が婚姻中協力して得た財産の清算という要素にとどまらず、離婚後生活に困窮ないし不安を生ずる夫婦の一方に対する他方の扶養という要素もまた重要な要素であり、また離婚に伴う慰藉料等損害賠償的要素も包含するものと解すべく、これら諸要素にわたり、婚姻期間、婚姻生活状態、夫婦双方の協力によつて得た財産ないし各人の資産および生活能力等一切の事情を考慮して、その分与の是非、方法、額を決めるべきものと解すべきである。

そこで、申立人内田洋子と相手方との婚姻事情であるが、同申立人、相手方、同補佐人清野いせ、小倉マツの各審問結果、当裁判所の検証結果、相手方筆頭の戸籍謄本、日南市大字○○字○○△△△番および○○○番の○の各宅地の登記簿謄本ならびに相川友春作成の工事施工証明書を綜合すると、相手方は幼少時骨膜炎をわずらい、それに起因して知能的に非常に劣るようになつたこと、同人は最初安田トミと婚姻し、その間に長男信行(昭和二〇年九月一五日生)が生れたが協議離婚し、その後前記のとおり申立人内田洋子と婚姻し、右信行のほかに三人の子をもつようになつたこと、その夫婦の家庭生活は、相手方の両親と相手方の妹小倉マツ(申立人内田洋子より七歳年長、独身)との同居生活であり、両親は家業たる農業をし、申立人内田洋子はこれを加勢し、相手方は○○通運に人夫として働き、小倉マツは電報局に勤務する生活状態であつたが、父親が昭和二六年三月二七日死亡して後は相手方も右日本通運をやめ、農業に従事するようになり、その間の家計主宰者は父親生存中は父親、その後は母親となつていたこと、小倉マツはその後も継続して右電報局に勤務し、前記泰信を母親代わりになつて養育していたが、右信行も就職したころの昭和三七年相手方所有の前記○○○番の○の宅地を贈与によつて取得し、同地上に家屋を新築して前記母親とともに別居し、ここにおいて始めて相手方、申立人内田洋子は前記三人の子を含めた夫婦親子だけの生活を持ち得るようになつたこと、しかし、隣接して相手方姉増田ツル夫婦の家庭があり、また右小倉マツの家庭、さらに相手方姉清野いせの家庭が近くにあつて、彼女等は知能的に劣る相手方を配慮し、申立人内田洋子の家庭づくり、とくに相手方所有名義の財産管理に干渉したこと、その結果相手方、申立人内田洋子夫婦の住む宅地部分も右増田ツル名義に登記されているのを相手方名義にもどすという事態があつたり、相手方所有の前記二八〇番の宅地を金三八〇万円で売却した後の売却代金のつかい方につき申立人内田洋子は農地の購入を希望したが、前記姉妹等の意向で本宅の新築、貸家の建築、その他これに附随する工事にあてられたり、さらには、決定的な対立関係に発展する動機となつたと思われる小倉マツ、同人母による相手方所有山林立木の売却処分がなされたりしたこと、こうした確執のうちに申立人内田洋子と右相手方姉妹等の対立が激化し、ついに昭和四二年一二月末同申立人が前記二男、三男を連れて家を出、相手方と別居するにいたつたこと、したがつてこの対立は、申立人内田洋子と相手方との純粋に夫婦間の問題というよりは、むしろ同申立人と相手方の姉妹等の対立、さらにそれぞれの親族の対立という様相を呈していること、しかも、もともと申立人内田洋子と相手方は従兄弟同志であるが、知能的に劣る相手方と同申立人とが婚姻しなければならなかつたいきさつにまで逆のぼつて拮抗し、あげくは前記長男利男が相手方の子ではないとの争いにまで発展して、その親族的対立は極めて深く憎悪し合うものになつていること、がそれぞれ認められる。

そして、前記一のとおり、相手方と申立人内田洋子は昭和四三年六月二八日調停離婚したのであるが、その後の双方の生活状態、資産関係については、まず相手方のそれは、相手方、同補佐人清野いせ、小倉マツの各審問結果、当裁判所の検証結果、それに乙第一号証の一ないし二三として整理した不動産登記簿謄本および鑑定人黒木正明の鑑定結果によると、相手方は、現在日本通運に人夫として勤務し、

月額約二万円の収入

を得、他方資産として

1  日南市大字○○字○○△△△番宅地一四二坪時価金一〇〇万八、二〇〇円

2  同字○○○番の○宅地三〇坪時価金二一万三、〇〇〇円

3  右両地上

イ 木造瓦葺平家建居宅四〇坪七合七勺時価金二三七万八、二二七円

ロ 木造瓦葺二階建厩舎延五一坪九合八勺時価金二四万九、五〇五円

4  同字○○○番の○宅地六二坪四合五勺時価金四四万三、三九五円

5  同地上木造瓦葺平家建居宅(貸家)二三坪三合七勺時価金九七万三、七五七円

6  同大字○○字○○西○○番田六畝一四歩時価金四八万五、〇〇〇円

7  同市大字○○字○町△△△番田一反六歩時価金三三一万五、〇〇〇円

8  同字○○○番田一反六歩時価金三三一万五、〇〇〇円

9  同大字○○字○○△、△△△番の○畑三畝一五歩時価金二一万円

10  同字○、○○○番畑二畝三歩

11  同字○、○○○番畑二畝四歩

12  同字○、○○○番畑二畝一四歩

13  同市大字○○字○○○△、△△△番畑六畝一八歩時価金七五万二、四〇〇円

14  同大字○○字○○△、△△△番田七畝五歩時価金七〇万九、五〇〇円

15  同字○、○○○番田七畝五歩時価金七〇万九、五〇〇円

16  同字○、○○○番田七畝一四歩時価金七三万九、二〇〇円

17  同市大字○○○字○○○△、△△△番山林四畝一二歩

18  同字○、○○○番○山林二畝六歩

19  同字○、○○○番○山林二畝六歩

20  同字○、○○○番畑一畝一六歩

21  同大字○○字○○○○△、△△△番の○山林二六歩

22  同大字○○字○○△、△△△番畑四畝二二歩

を所有し、(以下前掲各物件を1の土地、3のイの家屋というように略称する。)右のうち5の家屋を賃貸し、

月額金九、〇〇〇円の家賃収入

を得、また右のうち農地については7、8、9の田畑を耕作し、さらに右7、8に隣接する相手方の弟小倉春雄所有の田一反六畝およびこれの附近にある同じく右弟所有の田六畝を耕作し、

米一〇俵の供出

他は飯米等に保有

の収穫をあげ、(ただし右農耕は主として夫が建築請負業を営む前記清野いせの力によるものである)、他の農地は本件審判事件が解決するまでの間臨時に小作に出していること、そして一たん別居した母が相手方と同居し、小倉マツもまた同居に近い状態で相手方の家庭生活がもたれていること、がそれぞれ認められる。

次に、申立人内田洋子の生活状態、資産関係であるが、申立人内田洋子、同小倉晃、同小倉均、山重利雄の各審問結果および当裁判所の検証結果によると、右申立人等母子三名は相手方と別居後、山重利雄(申立人内田洋子の妹婿)の生活援助を受け、妻子を含めて五人家族の住む同人家屋(十数坪の木造瓦葺平家建居宅で、ふすまで仕切つた三間の部屋があるだけ)の四畳半一間を半ば右家族と同居のような形で間借りし、申立人小倉晃を県立○○○○高校三年に、同小倉均を市立○○中学校二年にそれぞれ就学させ、その教育費を含めて生活費に月額約二万七、〇〇〇円から二万八、〇〇〇円を要するところ、右山重利雄夫婦を始めとして他の親族から金銭的、物質的援助を受け(なお申立人享は新聞配達をして月額一、五〇〇円の収入を得てその教育費の一部にあてている)、さらに小作地一反を二期作のみ賃借して飯米の獲得を図るうち、昭和四三年一二月より○○パルプ○○工場に包装工としての職を得、二か月毎の労働契約ながら月額約一万二、〇〇〇円の収入を得て現在にいたること、そして申立人等は早く母子のみの独立居住家屋をもち、子の勉強が可能な家庭環境をつくり、できれば申立人内田洋子、同小倉晃において農業を営むことができるようになりたいとの切実な希望をもつていることがそれぞれ認められる。

しかして、相手方は、昭和三〇年一〇月一七日日南市大字○○字○○△△△番の○田一畝一〇歩を代金一五万円、昭和三六年三月一三日同字○○○番の○田六畝四歩を代金一二〇万円、昭和三九年六月二六日同字○○○番田八畝五歩を代金三八〇万円、昭和四一年一二月一七日同字○○○番の○田五畝八歩を代金九八万円でそれぞれ売却した代金中金一一九万七、六三〇円を、申立人内田洋子はほしいままに処分し、さらに昭和三八年以降内田博等より合計金七六万五、〇〇〇円の借入をしているがその使途が不明であるのみならず、昭和四三年二月一三日相手方宅よりもみ米九俵等三七点におよぶ家庭用物件を持ち出している旨主張するのであるが、前記認定のとおり昭和三七年以前は相手方の母および妹小倉マツも申立人等と同居して家計の維持を図つていたのであるから、その間の右農地売却代金の使途について申立人内田洋子に隠匿的な処分行為を推認することは妥当ではなく、その後の右農地売却代金については、前記認定のとおり相手方所有の本宅(前掲資産3のイ)および貸家(同5)の新築を主体として農業用機具、家庭用品の完備等につかわれたものであり、申立人内田洋子の主張によると、その支出合計が金四八〇万四、八七〇円となり、そのうち姉妹に対する贈与金は金一万七、五〇〇円、小倉マツに対する借金返済分は金一二万円とそれぞれ相手方主張どおり減縮しても右支出合計は金四五七万円余となり、前記昭和三九年、昭和四一年の各農地売却代金合計金四七八万円とほぼ一致するのであり、申立人内田洋子における隠匿的処分を認めることができないのみならず、申立人内田洋子、小倉晃、同小倉均の各審問結果によると、長男勝を昭和三八年より昭和四一年まで県立○○○○高校に、二男晃を昭和四一年より県立○○○○高校に、三男均を昭和四二年より市立○○中学校にそれぞれ就学させ、申立人内田洋子、相手方夫婦の家庭は、一時に多額の出費を要するようになつたことは容易に推測され、そこに前記認定にかかる相手方所有農地のみの農業収入では足りず、昭和三九年からは相手方において○○組に雑役夫として働きに出るようになつたのであり、前記貸家の家賃収入も昭和四〇年以降であつて、ここに弟にあたる内田博あるいは農業協同組合より昭和三八年あるいは昭和四〇年という時期に名目はあるいは生活費、あるいは農業経営資金にしろ借入れをしなければならなかつた事情が窮われるのであり、○○不動産に対する分は前記農地売却の仲介業者であつてそれに附随して生じた手数料等を一時借用名義にしたものと認められ、これまた申立人内田洋子に隠匿的処分行為を認めることはむずかしい。しかして、同申立人と相手方の姉妹親族との対立が激化して以後の○○協同組合の借入金五万円あるいは家庭用物件の持ち出しについては、同申立人における利得的な要素を確認できなくもないが、右持ち出したという物件も米、みそ、漬物といつた食料品に冷蔵庫一台、扇風機一台、洗濯機一台、ミシン一台といつた電機製品に、布団等といつたいわば申立人等母子三名の日常生活に最少限必要なものと認められる範囲のものであり、別居後今日に至るまでの間に要した生活費用からみると、相手方も当然夫として又親として扶養義務があるのであるから、右持ち出しにかかる金員あるいは物件をこの際問題にすることは不適当といわざるを得ない。

以上認定にかかる相手方と申立人内田洋子の婚姻事情、その後の各自の生活状況、資産関係をみてみると、相手方は同申立人に対し相当の財産分与をすべきものと解する。なおその場合、相手方はその所有する財産がいずれも固有財産又は相続財産ないしその変形物であつて、申立人内田洋子の協力によつて得たものはなにもないとして、右財産分与の要なきことを主張するのであるが、すでに認定したとおり相手方自身知能的に劣るものであり、同居中の母また老齢化する過程で、家業たる農業の担手に正に申立人内田洋子であつたのであり、その協力によつて始めて農業を維持し、農地を保持し得たとみるべきであるから、右主張は採用しがたいのみならず、本件においては、より大きく前述離婚後の扶養という要素に着目して財産分与の是非を決すべきである。しかして、申立人内田洋子は申立人小倉晃、同小倉均の二人の子と生活を共同にしてその養育をなしているのであるから、右離婚後の扶養を考える場合、右二子に対する養育生活関係を右共同生活関係から分離して、申立人内田洋子のみの生活というものを考えることは、事実上むずかしい。両者は相関的にみていくべきものである。申立人内田洋子に対する財産分与事件と申立人小倉晃、同小倉均に対する扶養事件とを併合して審理した所以である。なお、申立人内田洋子は本件申立において相当額の慰藉料の請求をしているのであるが、前記離別にいたる認定事情からすると、相手方自身に対してというよりはその姉妹等に対する慰藉料請求の要素が強いのみならず、そもそも財産分与の中には慰藉料そのものを含むものでなく、その慰藉料の発生してくる原因事情が財産分与の決定の上で考慮されなければならないというものであるから、本件においては前記離別にいたる認定事情を申立人内田洋子に対する財産分与の決定の上で考慮することにする。

三、ところで、申立人小倉晃、同小倉均は相手方に対し相当の扶養を求め、より具体的にはさきに認定した小倉マツ新築にかかる同人所有の家屋が、その後同人および同人母が相手方のもとにいき空屋同然になつているので、そこに母とともに居住できるようまず住む家屋を確保して欲しい旨申し立て、母たる申立人内田洋子は相手方所有の前掲7、8の田が宅地化目前なのでそれをもらい、半分を売却してその代金で残り半分に家屋を建築し、他に相手方所有の前掲5の貸家と相当の田畑をもらいその家賃収入と農業収入をもつて右二人の子を養育していきたいとの意向をもち、相手方は一括して扶養料を支給することはできないので、月々分割して養育料を支給するようにしたい、との意向をもつものであるところ、申立人晃、同均のいう小倉マツの家屋使用は、同家屋が小倉マツ所有で相手方の財産でないから考慮の余地なく、また相手方のいう毎月の扶養料支払については、その資産状態からみて、必らずしも可能な唯一の扶養方法でないのみならず、安定した居住場所を有しない申立人晃、同均の目前の要扶養状態を満すことはできず、やはり申立人内田洋子の希望する母子ともに生活の成り立つ不動産分与の方法がその程度は別としてこの場合もつとも適当な方法と思料されるのである。

四、しかして、前記認定のとおり申立人内田洋子の相手方との二〇年にわたる婚姻事情、その間の家業たる農業の担手としての貢献度、相手方と離別せざるを得なかつた事情、離別後の生活状態および資産状態、また相手方の現在の生活状態および資産状態ならびに農地管理の状態等を考慮すると、相手方は申立人内田洋子に対し前掲7の宅地化の近い農地および同申立人居住地に近い場所にある14、15、16の農地を分与するのが相当である。そして、この分与により、申立人内田洋子は居住家屋と農業経営を確保することができ、これにより申立人小倉晃、同小倉均に対する養育手段を確保することができるから、相手方は右農地の分与によつて反面また右晃、均両名の希望にもつともかなう形でその扶養義務を果すこともできるものということができる。したがつて、右7、14、15、16の農地の分与は、相手方の申立人内田洋子に対する財産分与であると同時に、相手方の申立人小倉晃、同小倉均に対する扶養方法ともなるものである。

したがつて、当裁判所は、相手方は申立人内田洋子に対し前掲7、14、15、16の農地を分与する旨の審判と相手方は申立人小倉晃、同小倉均に対する扶養方法として右各物件を親権者たる申立人内田洋子に分与して扶養すべき旨の審判をするものである。右両者の関係は、前者の審判においてその審判が確定すると右物件につき相手方より申立人内田洋子への所有権移転の効果が生ずる(農地法第三条にいわゆる県知事の許可という法定条件を充足する必要があるが)のに対し、後者の審判においては相手方はこれを分与すべき作為義務を負うだけであるが、前者の審判確定により後者の審判はすでに目的終了につきその執行を要しないことになるものである。

よつて、鑑定に要した費用につき家事審判法第七条、非訟事件手続法第二六条本文により申立人内田洋子の負担とし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 渡瀬勲)

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